こんにちは。TOKYO原住民に出演します工藤と申します。劇団臨月には初参加です。皆さんよろしくお願いします。
最初はコーヒー飲めるって大人になった気がしますねってエピソードを書こうと思ったんですけど、役者がいろんな切り口からこの劇に関係するようなエピソードを書いているので、僕も何か踏まえた話を書こうと思います。
今回僕が取り上げるトピックは「言葉」についてです。
皆さんは言葉や言語についてどう考えているかわかりませんが、僕はなんだか不完全さというかなんか違和感というか、そんなものを感じる時があります。
例えばこのブログとかもそうですが、文体や口調によってその人の使う言葉などが変わってきますよね。例えば
「うち、ラムだっちゃ!☆」
と
「あーし、ラムっていうんだよね」
は意味はほぼ一緒ですが、人によってこのような言い方を選択しています。この他にもママ→おふくろ→ばばぁ→お母さんなどの言い方の変化があったりしますよね。
大体そういうのは友達や公の場所というような自分のいる社会集団に依存したりするんですが、そういう選択をすると大体その口調では語れないこととかも出来てしまいます。
だから最初のラムちゃんと二回目のラムちゃんだとパーカーのタグが痒い時にもしかしたら選ぶ言葉の違いによって伝わるニュアンスに微妙な差があるかもしれません。ある意味どういう語法で言葉を使うかはどの宗教を信仰しているかのようなものに近いと思います。
あとよく考えたらそもそもラムちゃんはパーカー着ませんでしたね。へへへ。
次に文化圏というのも言葉には大きな影響を与えていると思います。
例えば、日本は田んぼに生えてるイネ、脱穀したものをコメ、炊いたものをメシと区別しますが、アメリカとか米が主食じゃない国は
田んぼに生えてる→ライス
脱穀したのもの→ライス
炊いたもの→ライス
ブッシュの時の国務長官→ライス
となるわけです。ごめんなさい。この小ネタが言いたくて言いたくて。
でも雪があまり降らない国は粉雪とか牡丹雪みたいなものも雪としか見られないんだと思います。言葉って不思議ですね。
そんなわけで今回の舞台TOKYOでは言語がどのようなトラブルや困難を巻き起こすのか!!ご期待下さい!!
余談ですが、僕の高校の友達でバンドマンがいたんですが、当時の彼は
「音楽に国境はないんだ!」
って言いながら楽しげに僕にRADWIMPSの弾き語ってくれました。
音楽に国境はないかもしれないけど、歌詞には国境があると思いました。
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